アメリカ初のリアル・スーパーカー
デトロイト生まれのデザイナー兼エンジニアであるジェラルド・“ジェリー”・ワイガートは、1971年にヴィークル・デザイン・フォース社を設立すると、翌年のロサンゼルス・オートショーにベクターという名の実物大モックアップ・モデルを出展します。“US Challenge to Italian Styling” をテーマに掲げた、当時ヨーロッパで旬のウェッジ・シェイプ・ボディで、「Motor Trend」誌72年4月号の表紙を飾りました。
ジェリーはスタイリングの洗練化を図り、76年に新しいコンセプト・モデル、ヴェクターW2を発表します。Wは開発者、2はツインターボを表しますが、まだパワーユニットは搭載していませんでした。同年、ジェリーは社名をベクター・エアロモーティヴ社に改め、78年にW2の実走可能なランニング・プロトタイプを完成させます。自動車史上初となるオール・アメリカン・スーパーカーの夢が走り始めました。
車名のW2は、ジェリー(Wiegert)が開発したツイン・ターボ(2)搭載車という意味です。ミッドに搭載したシボレー製5.7リッターV8ツイン・ターボ・エンジンは612psを発揮し、その出力に耐えられるマニュアル・トランスミッションが無かったので3速ATが採用されました。ボンネビル・ソルトフラッツで時速389kmを記録した正真正銘のスーパーカーでした。
元々航空機パイロット志望だったジェリーは、ベクターのシャーシやインテリアに航空機製造技術を盛り込みます。スタイリングは公道を走る戦闘機のイメージです。ステルス戦闘機をモチーフにしたランボルギーニ・レベントン(2007年)より30年も先んじていました。W2にはリア・ウィング付きのモデルも存在し、延べ16万kmの試験走行を行いましたが、市販車として生産されることはありませんでした。
W2で確立されたベクターのスタイリングは、当時のウェッジ・シェイプ代表格であるカウンタックやマセラティ・ブーメランとは異なる特徴があります。フォルムでは、キャビンのリア・クオーターとリア・ウィンドウを一体的に傾斜させ、水平のエンジン・カバー部へとつなげた処理、およびボディと一体的に張り出した前後フェンダーです。また、ヘッドライトは先端が起き上がらず、カバーだけが開閉する方式を採用しています。ただし、ドアはカウンタックと同じシザー・ドアです。
魅力的な造形ですが、アメリカン・プロトタイプというマイナーさからか、1/43モデルカーでは不遇の車種で、プロバンス・ムラージュ(フランス)製キット(写真はそのハンド・ビルト作品)と、バンセン・モデル(マレーシア)製の完成品(数種あり)でしか製品化されていません(2016年7月現在)。
ジェリーは約10年の開発期間を経て、初の市販モデルとなるW8を1988年に発表します。プロトタイプで終わったW2の正当発展型で、車名をターボ数から気筒数に変更しました。エンジンは6リッターに拡大されたV8ツイン・ターボで、最高出力は634psにアップされています。しかし、89~93年の間に生産されたW8は、わずか約20台です。
W8の基本フォルムはW2のままですが、各部の造形は煮詰められ、後期型では完璧と思えるスタイリングに到達しました。市販車としては、究極のウェッジ・シェイプ・デザインです。1/43モデルカーでは、バンセン・モデルとスパークによる完成品、およびドイツのベクター・マニアが私的にリリースしたキットのみが存在します(2016年7月現在)。
1992年、ジェリーはW8のさらなる進化に着手します。アメリカ「Road & Track」誌(91・92年)で勝ち取った世界最速車の称号を守り抜くためです。車名はAWX3、つまりAvtech Wiegert Experiment 3(ワイガート第3世代の開発試作車)で、7リッター・エンジンにより1014ps(1000hp)以上を目指します。93年のジュネーブ・モーター・ショーにて、クーペとスパイダー(AWX3-R)がヨーロッパで初披露されました。
発表した車は、当時の生産車W8のシャーシとエンジンに、柔らかい曲線基調でリデザインしたボディを架装したコンセプトカーでした。1/43モデルカーではバンセン・モデル製だけで、上の写真(青)がショー出展時の車、下(銀)がその後の再塗装車としてリリースされましたが、実際は色順序が逆だったようです。結局、Avtech WX3は市販車として実現されることなく、93年にW8の生産も終了してしまいます。
WX3が中止になった背景には、93年のメガテック社(インドネシア)によるベクター社の敵対的買収劇がありました。その結果、創業者でありデザイナーのジェリーは追放されてしまいます。翌94年には、メガテック社はランボルギーニ社を当時のオーナーであるクライスラー社から買収します。そして95年、ディアブロにWX3の衣をまとわせたM12(メガテック社製でV12エンジン搭載車)を誕生させます。オール・アメリカンだったベクターは、ディアブロの廉価版と化したのです。
工業製品としてのスーパーカーの魅力は、性能や価格以上に、創業者の志や社歴、各車種の物語性によって創り出されます。M12はそのほとんどを失ったのです。生産台数は20台に到達しませんでした。99年、その中の1台に安価なGM製V8エンジンを搭載し、ディアブロを醜くしたボディを架装して新型車SRV8に仕立てますが、ベクター社は終焉を迎えます。しかし2007年、ジェリーは新型WX8を引っ提げ、新生ベクター・モータース社として復活を遂げたのです(補註:その後のベクター社の動向は未追跡)。
アメ車の中で、コルベットと並んで大好きな車がベクターです。そもそもウェッジ・シェイプはカウンタックの時代から、フォルムに由来する揚力の発生が問題視されていました。従って、90年代には影を潜めたのですが、70年代から開発が継続され続けたベクターは、まるで “生きた化石” 状態でウェッジ・シェイプを貫いたのです。W2~WX3の造形的完成度はもちろん、経済的苦境にも負けないジェリーの情熱と信念に、強烈なスーパーカー魂を感じてしまうのです。
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