美しい空力フォルムの先駆的創造者
スーパーカーと呼ばれるミッドシップ・ハイパフォーマンス・ロードカーが台頭する1960~70年代、本節の主役である才能に満ち溢れたデザイナー達が活躍します。
50年代、そのスーパーカー時代前夜から、空力を追求した斬新な曲線美のロードカーを生み出し続けた先駆的デザイナーが居ました。彼の名は、フランコ・スカリオーネです。
Name / 氏名 | Franco Scaglione | フランコ・スカリオーネ |
Born / 生誕 | 26 September, 1916 / Florence, Tuscany, Italy | 1916年9月26日 / イタリア、トスカーナ州、フィレンツェ |
Died / 死没 | 19 June, 1993 (Age of 76) | 1993年6月19日(享年76) |
Occupation / 職業 | Automotive Designer | 自動車デザイナー |
Career / 経歴 |
- 1946: Stay in India as a prisoner of the World War II 1947: Return to Italy 1948: Cloths Designer in Bologna 1951: Meets Nuccio Bertone 1952: Automotive Designer at Bertone 1959: Freelance Designer 1967: Design Work of Alfa Romeo Tipo 33 Stradale 1972: Last Design Work for Intermeccanica Indra Coupe |
~1946年: 第二次世界大戦の捕虜としてインド滞在 1947年: インドからイタリアへ帰還 1948年: ボローニャで衣服デザイナー 1951年: ヌッチオ・ベルトーネと出会う 1952年: ベルトーネのデザイナーに就任 1959年: ベルトーネから独立 1967年: アルファ・ロメオ・ティーポ 33 ストラダーレをデザイン 1972年: 最後のデザイン・ワーク(インターメカニカ・インドラ) |
フランコ・スカリオーネは、大学で航空工学を学んでいましたが、第二次世界大戦の勃発による学徒動員で、大学を中退して戦地に赴きます。終戦後イタリアに戻ると、自動車デザイナーを志しカロッツェリアの集中するトリノに出ます。そこでベルトーネの総帥ヌッチオと運命の出会いを果たします。
ベルトーネ在籍中に、アバルト1500ビポスト(1952年)、アルファ・ロメオB.A.T.(ベルリネッタ・アエロディナミカ・テクニカ)(53~55年)、同2000スポルティ―ヴァ(54年)、アバルト750(56年)、フィアット・オスカ1500(59年)など、美しい空力フォルムのロードカーを数々デザインしました。
1959年にフランコがベルトーネから独立すると、徐々に時代の主役がミッドシップ・スーパースポーツへと移行します。もちろん、フランコにも斬新なプロジェクトが待っていました。
本節では、スーパーカー黎明期の歴史に名を刻む60年代の3作品を紹介します。今やスーパーカーの代名詞ともなった、ランボルギーニの記念すべき第1号車も含まれます。
実業家フェルッチオ・ランボルギーニは、1963年にランボルギーニを設立すると、3.5リッターV12エンジンを搭載する第1号車を企画します。そこにフランコは、自らのFRクーペ・デザインを集大成したかのような美しいボディを架装しました。
しかし、フェルッチオにとっては過去のフォルムであり、彼が思い描く新時代のスーパーカーではなかったようです。ノーズのエンブレムのオフセット配置が決定的要因となり、フェルッチオはカロッツェリア・ツーリングに再デザインを依頼します。
結局、ランボルギーニ市販第1号車は、ツーリングの350GTとなり、フランコの350GTVはエンジンを積まずにお蔵入りとなりました。その後、顧客に販売され、実走可能車に改造されると共に、車体はメタリック・グリーンに再塗装されます。
スタイリングはともかく、両車ともフロント・エンジン車です。ランボルギーニは、第2号車ミウラによってミッドシップ車の新時代を切り拓きます。デザイナーは、フランコから2代後のベルトーネ・チーフ・デザイナー、マルチェロ・ガンディーニでした。
ATS(アウトモービリ・ツリーズモ・エ・スポルト)は、いわゆる「宮廷の反乱」でフェラーリを去ったカルロ・キティやジオット・ビッザリーニらが、1963年にボローニャで設立したスポーツカー・メーカーであり、F1コンストラクターです。
カルロ・キティは、61年にフィル・ヒルをF1王者に導いたフェラーリ初のミッドシップF1カー・156F1の設計者で、ジオット・ビッザリーニは350GTV(63年)からムルシエラゴ(2010年)までのランボルギーニ・V12エンジンの設計者です。
ATSは、F1とロードカーを同時に設計するフェラーリ成功の図式を踏襲し、F1&ロードカー用のV8エンジンを、F1のエンジニアリングで、レースカー定番のシャーシにミッド搭載し、フランコのボディを架装して、93年に2500GTを発表します。
2500GTは、ルネ・ボネ・ジェット、デ・トマソ・ヴァレルンガ、フェラーリ250LMなどと並ぶ、最初期の市販ミッドシップ・ロードカーです。しかし、1/43モデルカーでは、イタリアのABCブリアンツァの作品しかありません(2016年8月現在)。
ATS2500GTは、フェラーリのエンジニアリングで創り上げられたミッドシップ・ロード・ゴーイング・レーサーでしたが、15台が生産されただけで、ATSは65年に活動を停止しました。しかし、カルロ・キティの優秀なV8エンジンは生き続けます。
カルロは61年からアウト-デルタを運営していましたが、64年にアウトデルタと改称し、アルファ・ロメオのワークス・チーム&レーシング部門として、本格始動します。そうして生み出された生粋のレースカーが、ティーポ33/2です。
そして、そのロードカー・バージョンが、フランコ・スカリオーネ生涯の傑作と言える美しい空力ボディを架装したテイーポ33/2ストラダーレです。カルロが設計した2リッターV8エンジンを、レーシング・シャーシにミッド搭載しています。
フランコの33/2ストラダーレ(67年)は、空力を追求したスタイリングが美しいだけでなく、ロードカーとしては、マクラーレンF1(92年)やエンツォ・フェラーリ(02年)より四半世紀早くバタフライ・ドアを採用したスーパーカーでもあります。
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